爱されるパンには「法则」がある
知っているようで知らない。パンについて考えると、いつもたどりつく感想です。いちばん最初のパンにさかのぼると、作りあげた人の深い考えや情热に必ずつきあたります。この连载では、元祖の店に取材し、长く爱されるパンに潜む「法则」を导きます。さらに、いま最先端をいく店も访问。その法则が现代でもあてはまることが人気の秘密であることを示そうと思います。第1回はサンドイッチです。
これがサンドイッチの原点だ!
1899年(明治32年)に私たちが生きていたら、東海道線?大船駅で売られていたサンドイッチを見て衝撃を受けたことでしょう。サンドイッチは洋食食堂(レストランのことです)か高級ホテルじゃないと食べられない逸品。異国の食べ物は心ときめくもの。平成の私たちがパンケーキやロブスターロールに行列を作るみたいに、並んででも食べたいと思ったことでしょう。日本で最初に駅で売られた大船轩の『サンドウイッチ』は、たいへんな人気を博しました。
いまも、当时とあまり変わらない姿で、大船駅で売られています。ふたを开けると、香ってくるのはなつかしいサンドイッチの匂い。その正体は、マーガリンとパンの発酵の香りの合わせ技なんだなと改めて知りました。ハムサンドが4个、チーズが2个。野菜ははさまず、サンドイッチ用の薄切りパンに、ハムだけ、チーズだけがつつましやかに。端整に并べられ、うつくしいストライプを描いています。
法则①うつくしさ
食べてみましょう。薄いパンは1枚だけのハム。パンとハムが同じ食感でさっくりと歯切れてくれるので気持ちがいい。端正にうつくしく作られたたまものです。要素を最低限に削り、テクスチャをそろえると、どこを食べても同じ歯切れと口溶けになるので、食べやすさ、心地よさへつながるのです。マーガリンはパンと具材を油分でつなぎ、マスタードは子どもでも嫌ではないぎりぎりのアクセントを添えています。
チーズについては、创业当时はなかったと考えられています。元祖のサンドイッチは、耳を切った薄切りの食パンにハムをはさんだ、极めてシンプルなものでした。
法则②オープン&モバイル
1899年(明治32年)の贩売価格9个入り20銭は、いっしょに売られていたラムネが3銭、寿司が7銭だった时代にかなりお高いものですが、駅のホームで1个から买えるというのは、ものすごく敷居を下げています。みんなでシェアできるし、お土产にもなる。谁でも参加できて、どこにでも持っていけるということ。つまり、オープンでモバイルな食べ物だというのが、パンのすごいところなのです。
法则③憧れの力
そもそも大船轩の创业者?富冈周蔵にサンドイッチの贩売をすすめたのは、第2代総理大臣も务めた黒田清隆でした。黒田はアメリカとヨーロッパ各国に外游した経験があり、そのとき食べたサンドイッチが、「忘れられない味」と语るほど心に刺さりまくっていたようなのです。「あれ売ったら絶対いけるって!」と兴奋気味に语る姿が想像されます。
憧れの力。サンドイッチの大事な要素だと思います。1971年(昭和46年)に上陆したマクドナルドのハンバーガーはじめ、过去に大ヒットしたサンドイッチの多くも外国からきたもの。日本にいながらにして远い异国を旅した気分に浸る「どこでもドア感覚」が爱されるサンドイッチには必须かもしれません。
法则④クオリティへの情热
憧れの力は、なんとかして本场のものを忠実に再现したいというクオリティへの情热へつながっていきます。発売当时、ハムは输入ものを使っていたそうです。明治のことですから、とても贵重だったことは间违いありません。そのうち、ハムを自家製することを思い至りました。これがいまの鎌仓ハム富冈商会です。鎌仓ハム富冈商会がサンドイッチを作るために生まれてきたなんて…全然知りませんでした。
法则⑤よき伝统を守る
大船轩の『サンドウイッチ』は、日本人がサンドイッチといわれてイメージするような、原点的な姿形をしています。これはどこから来たものなのでしょう?
黒田は北海道开拓长官として、アメリカ式の农业や开発手法を导入した人です。彼が倾倒していたに违いないアメリカでは、サンドイッチは、クラブハウスサンドイッチに代表されるように、何层にもパンや具材を重ねて、大きく大きくなっていく方向です。これは大船轩とはちょっと异なる感じです。
イギリスでは、労働者のサンドイッチはパンも具材も分厚く、お腹いっぱいになることを目指して作られますが、上流阶级のサンドイッチは「できるだけ小さく上品になるよう意図した」(*1)とされます。アフタヌーンティで食べるキューカンバーサンド(きゅうりのサンドイッチ)がいい例ですね。社交の场で食べるものなので、大口を开けなくても上品に食べられることが重视されます。次のような、イギリスでもっとも古く残るサンドイッチの记述に大船轩のそれはそっくりです。
「ごく薄切りにした牛肉をバターを涂った薄切りのパンの间にはさみ、端をきれいに切り落とし、皿に并べる」(*2)
大船轩の『サンドウイッチ』は評判になり、日本各地に広がっていきました。それによって日本人にとってのサンドイッチの標準になったのではないでしょうか。中東のピタサンドでもフランスのカスクルートでもなく、イギリスの上流階級のものをお手本にしたサンドイッチを1世紀以上にわたって食べてきたのです。
*1 *2 ビー?ウィルソン著『サンドイッチの歴史』(原書房刊)
法则⑥変わらないシンプルさ
なぜ、大船轩の『サンドウイッチ』は愛され続けるのか? 大船軒の担当者の意見を聞いてみましょう。
「いまは具材たっぷりのサンドイッチが多くなっていますが、大船轩はシンプルをずっと贯いてきました。そもそも、ロングセラーって変えてないものが多いですよね。ファンの方のことを思うと简単に変えられません」
変わらないシンプルさ。ここに秘密はあるようです。
サンドイッチの法则まとめ
サンドイッチの法则まとめ | ①うつくしさ |
②オープン&モバイル | |
③憧れの力 | |
④クオリティへの情热 | |
⑤よき伝统を守る | |
⑥変わらないシンプルさ |
バゲットサンドの最先端
代々木公園のほど近くにある、CAMELBACK sandwich&espresso。2014年12月、サンドイッチを作る成瀬隼人さん、エスプレッソをいれる鈴木啓太郎さんの2人ではじめました。開店前に近くの名店「カタネベーカリー」「365日」「タルイベーカリー」の3軒を自転車でまわってバゲットを買い集め、3種類を具材に合わせて使い分けるこだわりです(④クオリティへの情热)。
元寿司职人が作るサンドとは
成瀬さんは、日米の名店で腕を磨いた元寿司职人。客前で寿司を握る寿司屋は、见せる仕事です。成瀬さんがサンドイッチを作る手さばきも実に巧みで、见ていて饱きることがありません(①うつくしさ)。一流の寿司がしゃりの硬さや握り具合、ネタのバランスを考え抜いたものであるのと同様、成瀬さんのサンドイッチもどんなふうに口の中に入り、咀嚼され、溶けていくかデザインされています。たとえば『パルマ产生ハムと大叶、ゆずとバターの香り』であれば、生ハムや大叶をきれいに敷くことで、ぱりっと心地よく歯切れ、作り手の计算通りにバターとともに溶けていきます。
名物は玉子サンド
『すしやの玉子サンド』はたくさんのメディアに取り上げられた看板メニュー。习得するまで3年かかると言われる玉子焼きを厳しい修业に耐えて学び取ったものです(⑤よき伝统を守る)。成瀬さんの玉子焼きは真っ黄色でどこにも焦げがない。だから、スフレのようにやわらかく、口の中でほどけるとジューシーに溶ける。毎日2时间もかけ、すごい集中力で锅を縦横无尽に动かし、职人の勘を働かせて火の入り方を察知し、絶妙の焼き加减にもっていく。敷居が高くてめったに入れない、あこがれの高级な寿司屋の玉子焼きを、サンドイッチなら谁もが手軽にたのしめる(②オープン&モバイル、③憧れの力)。
玉子サンドは、カタネベーカリーによる、桑名もち小麦を使ったもちもちのコッペパンに和辛子とバターとごくシンプル。その他のメニューもソースで味付けるのでなく素材の组み合わせて胜负する。だからこそ、作り手の技术が问われる代わりに、素材の持ち味が生み出す怒涛のような感动が约束されます。人を育て、成瀬さんの感性を継ぐ人材をどんどん育てて、大船轩のように100年続いてほしいと思います(⑥変わらないシンプルさ)。
まだ开店间もない颁础惭贰尝叠础颁碍をはじめて访ねたとき、「これだ!」と私は思いました。なぜなのか言叶にはできなかったのですが、それはきっと、百年前も现在も変わらない「おいしさの普遍性」が贯かれていたからなのでしょう。大船轩と颁础惭贰尝叠础颁碍2轩をたて続けに取材し、改めてそう思いました。