コッペパンのはじまり
コッペパンは、丸十製パンの田辺玄平氏によって、1919年 (大正8年)、陸軍に納入するために開発されたものだと言われています。たしかに、食パンに比べると、①スライスせずに食べられ、②焼くときに型が必要なく、③オーブンの熱に直接当たるため焼き時間が短い、という特長があります。だから、軍隊のように、集団に一人分ずつを配給するとき都合がいいのです。長年、給食のパンとして食べられてきたのはこのためだと言えるでしょう。
コッペパンブームの火つけ役
いまコッペパンブームと言われるほど、人気が沸腾。流行のコッペパン専门店では、ジャムやあんこ、焼きそばやコロッケなどの惣菜を、注文してからはさんでくれます。戦后すぐの时代からこうした贩売方法はあったようですが、いまのブームの直接の震源地になっているのは、「盛冈のソウルフード」と言われる福田パン。色とりどりのスプレッドが并び、目の前で涂ってくれるスタイルは、谁しもテンションが上がります。
法则①食感の工夫
福田パンは1948年(昭和23年)の创业。もともとは、フランスパンのお店でしたが、约60年前、岩手大学の学生にも食べてほしいと、油脂を入れてやわらかくしたソフトフランスを开始。「コッペパンと呼んでいいのかわかりません」と3代目の福田洁さんが言うように、味わいはごくシンプルです。
法则②シンプルな味わい
「具材の味を杀さない感じにしています。私のじいさん(初代福田留吉氏)の代からの製法そのままです。食感は少しやわらかくしましたが、基本は変えていません」
甘さを控えることで、どんな具材も受け入れられ、毎日食べても食べ饱きないことが、「ソウルフード」に成长した理由なのでしょう。
法则③注文后に製造
注文を受けてから具材をはさむスタイルは、どのようにして生まれたのでしょう? 福田パンだけのオリジナルではないと言います。
「昔のパン屋さんはみんな(注文を受けてから)涂っていました。いまのベーカリーさんみたいにたくさんの种类を作れなかったからです。スプレッドを増やすことによって、パンの种类を増やしたわけですね」
法则④具材のユニークさ
具材の数は、スイート系30以上、おかず系约20。これらを1种类でもいいし、2种类以上を自由に组み合わせることもできます。アイデア次第で自分だけのコッペパンを作り上げることも可能。
たとえば、あんバターの诞生は约40年前。2代目の奥さんが、あんとバターという别々の注文をうっかりひとつのパンに涂ってしまったのがはじめだという(福田パンでのはじめであって、日本のどこかにはすでにあったのかもしれません)。
法则⑤地元に爱される
福田パンは直営店で贩売されるのみならず、高校の购买部や県内各地のスーパーなどでも贩売され、多いときには1日20000个も作られます。盛冈市民で食べたことのない人はいない、文字通りのソウルフード。
そのスタイルは、东京の人気店?吉田パンにも受け継がれ、现在のコッペパンブームの源流となりました。それもこれも、コッペパン専门店というシンプルなスタイルを时代を超えて守り抜き、発展させたからではないでしょうか。
コッペパンの最先端
最新のコッペパンは地产地消、畑からはじまります。さいたま市の浦和にある魔女のコッペパン。地元でとれた果物や小麦を使ってコッペパンを作っています。
「私、魔女なんです」
と、菅原宏美さんに言われてびっくり。以前は埼玉県内のハーブ园で、そこでとれたハーブや近隣生产者の果物を使ってジャムやペーストを作っていたことにちなみます。
「昔の魔女はハーブを使って病気を治した。私は病気は治せないけれど、おいしいものを作ってみんなを幸せにしたいと思っています」
ジャムは自家製
私がはじめて厨房を访れたとき、甘い匂いが漂っていました。
「いま畑から取ってきたイチゴを煮て、ジャムを作っているんです」
そのほか、埼玉県内の生产者から、桃、ブルーベリー、冬瓜、いちじくなどを仕入れてジャムを自家製しています(法则④具材のユニークさ)。
「冬瓜はマーマレード风にします。冬瓜を角切りして煮ると、カクカクしたのが残って、色もきれいなんです」と菅原さん。
できすぎて生产者が困っていた冬瓜を引き取ってジャムにすると人気商品に。この店で、メニューは畑から生まれてくるのです。地元食材を使ったパンは人気が出やすいもの。実际、ジャムは诞生までのストーリーとともに罢痴で绍介され、作っても作っても间に合わないほど爆発的な人気を呼びました。
コッペパンだからできること
なぜコッペパンだったのか? ハーブ园を辞め、ジャム専门店をオープンしようとしていたとき、「ジャムだけでは経営が成り立たない」とアドバイスされて再考したところ、アイデアが降ってきました。
「そうだ、ジャムに合うパンを作ればいいんだ。コッペパンなら、1种类だけ作って、いろんなジャムを涂ることができる」
地元の小麦を使って
パンは素人。急遽、パン学校に通い、パートナーの社长さんと开発を进めました。埼玉県产の小麦を使った小麦粉で作られます。もっちり感があり(①食感の工夫)、甘さは控えめ、全粒粉を使ってしっかりと小麦の香りをさせて素材感を打ち出しているのが特徴です(②シンプルな味わい)。
はじめは「ふくらまなかったり、べろーんとなったり」と失败の连続でしたが、试行错误を重ねて纳得のいくコッペパンが完成したといいます。
「焼き时间は特に気を使います。焼きすぎると表面が硬くなる。タイマーに頼るんじゃなく、焼き色を见ながら毎回调整します」
コッペの魔女が地元を幸せに
本店(现在休止中)では、お客さんの注文に応じて、ジャムを涂ったり、惣菜をはさんで作りたてで提供するスタイルでスタートしました(浦和笔础搁颁翱店は作り置きのみ)。客前で作るライブ感や作りたての魅力で人気に火がつきました。(③注文后に製造)。
埼玉県に眠るおいしい食材も开拓、新しいジャムやコッペを作っていってくれることでしょう。魔女の仕事が、地元の人たちをもっともっと幸せにしていくでしょう。
原点の店も、最先端の店も、地元の人たちを幸せにするという目的は変わることがありません。ですが、时代の流れによって、その方向性はちがっています。安く、おいしく、食べやすく、みんなを満腹にするのが戦后のパン屋の使命。ところがいまや、地产地消や手作り、安心?安全の食材までもが求められるようになりました。2轩のちがいに、戦后の「食」の変迁が现れているのだと思います。